仮想定規-序の章- 2016/11/26 中野あくとれ 感想

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どこまでが現実でどこまでがお芝居なのか?
という芝居の大前提は
ときに観客を見る側から自らを主人公にさせてしまう
妄想(夢)へと誘う
サボが立ち上げた仮想定規の旗揚げ公演はまさに
そんな快感が小気味いい舞台だった
サーカス風のワルツが流れる
オープニングから仕掛けてきた
統率されたキビキビした役者と無駄のない舞台運びは
場面、場面が構図を計ったように
絵としての美しさがあった
斬新な衣装、小道具のアイディアが
目を奪い、遠近感や立体感をたぶんに図りながら
並べられた小さな兵隊たちは
くるくると回っては倒れ
笑ってははしゃぎまわり
出たり入ったり・・・
おもちゃ箱に入り込んだような
面白さがあった
しかしそう思っていると
次の登場人物によって
新たな出来事が持ち込まれ
するすると風景が変る
その中に役柄を演じる役者でない
もう一人の背景としての役者がいて
それは実は決して風景ではなく
いつでも新しい物語を運び込む
登場人物として待機している
そんな具合だ
随所に生のパーカッションやSE、
鳴り物を配し
予め録音されたスピーカーから
流れる音と合わせることで
立体感を図り
演者と同等に芝居の中に
演奏者を組みこんだ
そんなバタバタとした騒動が一段落すると
呵責の念に取りつかれたひとりの男と
少女が物語の中にいた
男はたどり着いた地に戸惑い
少女に尋ねた
そこはサイタマという荒野で
少女はやりたいことが仕事なんだと言い
花を咲かすという夢を追いかけていた
やがてその少女は自分の責任で死なせてしまった妹であり
さらに男は少女が死んだのではなく
死んだのは自分だったと知らされる
ここでは少女が少女の文身に語らせながら
回想していく場面は幻想的で
とても立体的に観客を物語の核心へ追い込んでいく
『この世とあの世』
それは実は逆なのかもしれない
逆だと思ったら生きることに吹っ切れた
と観劇後話してくれた
サボは自らの体験を軸に
劇団の序章をそこに位置付けて
弓を射ったのだ
本田さんの音楽は
アンビエントなメロディのシンプルなものから
スパイ大作戦のメロを借用した
あしゃれで遊び心あふれる
ダンサンブルなものまで
何かが生まれるようなワクワク感と
力強い生命力に満ちて
あたたかく物語を包み込んでいた
全体を通してスタイリッシュで
流れるようなリズムが芝居全体を
しなやかなバネのような
瞬発力でまとめ上げたことは
サボの読みが相当グローバルな視点に立った
演劇に囚われない方向を目指しているのだろう
今後に期待せずにはいられない新しい旅立ちであった
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