2017/05/17 穴守稲荷と穴守稲荷神社の赤鳥居

昨日は休みをいただき、
じゅん散歩、いやさ!りゅう散歩
品川から京急空港線で穴守稲荷
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ここは東京のほぼ最南端
多摩川を隔てて川向うは神奈川県川崎市
空港線で終点まで行けば羽田空港である。
多摩川沿いで歌うつもりだったが、
出発が遅すぎて断念、
しばし駅周辺を徘徊するも
早々に淀へ。
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お目当ては江戸前穴子の白焼き、
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回転寿司で出てくる身がすぐ崩れるヤツではなく、
しっかりとした歯ごたえがあり、
カリっと焼き上げた穴子は、
ほのかな甘みと風味が上品で、
江戸前に相応しい逸品だ。
ここは穴子鍋が名物、
はぜ、めごち、キスの
江戸前てんぷらも食指をそそられたが、
ふところ具合と相談して次回にしたよ
次回は
東京湾14号埋立地、江東区夢の島へ
2017年東京の現実に迫ってみるか

*最後に穴守稲荷神社 赤鳥居のはなしを
書いておくよ


◆穴守稲荷神社◆
穴守稲荷神社2穴守稲荷神社1
1804年(文化元年)の新田開墾の折り、
海が荒れて沿岸の堤防が決壊し、
村々は海水による甚大な被害を受けた。
村民が堤防の上に祠を勧請し、稲荷大神を祀ると、
海が静まって大きな実りをもたらした。
これが穴守稲荷神社の起こりとされている。
穴守という名の由来は、
堤防に開いた穴の害から人々を守るという神徳にちなむ。
江戸時代には、「穴守」という名前が
「『穴』を『(性病から)守る』」に通じると考えられて、
遊女達の信仰を集めたという。
1884年(明治17年)には暴風雨に襲われ崩壊してしまうが、
翌年には再建の認可を取り付け、
さらに1886年(明治19年)には
「穴守稲荷社」から「穴守稲荷神社」へと改称を行った。
再建した穴守稲荷神社は境内も広くなり、
さらに周辺で潮干狩りもできることや
温泉が湧いたこともあり、
門前には温泉旅館や芸者の置屋ができるなど、
賑わいを見せていった。
第二次世界大戦が終わった直後の
1945年(昭和20年)9月21日、
羽田空港を軍事基地として拡張するため米軍(GHQ)より、
範囲内の住民ともども強制退去を迫られることになるが、
これに対して地元の有志らは移転先となる
稲荷橋駅(現:穴守稲荷駅)
近くの現在の鎮座地[6]700坪(2310 m2)を寄進し、
現在は境内の整備を進めており、
神社はほぼ昔日の姿を取り戻しつつある。
移転前の社殿や他の鳥居はGHQによって取り壊されたが、
門前の赤鳥居だけは撤去できず、
そのまま空港の更地(後に駐車場となる)に残され続けた。
赤鳥居
それは赤鳥居にロープをかけて倒そうとしたところ、
ロープが切れて作業員たちに死傷者が出てしまい
(後に基礎が頑丈にできており
ロープ程度では倒せないことが判明している)、
その後も何度か取り壊しや移転案も出たのだが、
その度に移転の工事関係者が事故にあったり
原因不明の病気になったりと、
赤鳥居は“祟る”と言われてきたからである。
その後も1954年(昭和29年)に
羽田空港ターミナルビルが建設されるが、
同時期に行われた滑走路拡張工事でも
工事中に死傷者が続出した。
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