長編叙事詩『李庚順』 寺山修司


李庚順



納屋の出口に
立て掛けてある斧
一歩ふみだすと外は真青な麦ばかり
李は殺そうと思っている母親のヨシに向かって口笛を吹いた
お母さん
とってもいいお天気だから散髪に行ってくるよ
ああ、いいとも とヨシは上機嫌でモミを選りながらうなずいた
おれは・・・・・
と歩きながら李は思った
「おれは戦艦だ」
散髪前の頭をのけぞるようにして
頭上を仰ぎながら李は歩いていった
街に入ってバケツがあるとバケツを蹴とばした
彼が日をいっぱいに浴びたコンクリートの塀に のけぞるように
散髪前の後頭部をこすりつけると
夏の日ざしは彼に向かって一斉にこぶしをかためてつきだしてきた
サングラスをはずして
彼はそれを真直ぐに見た
「おれは戦艦だ」
その他のことはなにもおれに質問するな!


李がノックすると
老人がすぐにドアをあけた
早かったね 今日は休みかね
と老人が尋ねた
映画館の掛けもちのフィルム運搬なんか
誰にだって出来るのだ
李はそう言いながらシャツを脱いで裸になった
巨人の腸詰のようなサンドバックがたった二本
縄跳びの縄と パンチングボールが一台
これでも拳闘倶楽部だ
こんなところでトレーニングしたって
強くなんかなれやしない
汗をかくだけだ
おれは二十貫もあるんだから
ライセンスさえとれば最初のヘヴィ級ボクサーになれるんだからな
何しろ
「おれは戦艦だ」
ダ、ダダダダ、ダダ
と勢いよくサンドバックを乱打すると
たちまち みんな目を閉じてしまう
おれの殴りつけるサンドバックにだけ目があって
それがおれを見つめているのだ


おれはここにいるが
心はここになく 東京にいる
東京へ! 東京へ!
錆色の鉄路を北から南へ
アメリカ人の基地を通りこし
さびれた平野を越えてさびしいハーモニカが魂の唄をうたう
古めかしい二百の停車場を越えてゆこう
東京へ! 東京へ! 東京へ!


東京へ行きたいんだってね
と床屋の親爺が李に言った
李は顔を剃られながら安石鹸のなまぬるい悪夢の底で(うたたねしようとしていると) 連絡船が出てゆく汽笛がきこえる
東京へ行きたいんだってね!
と また親爺がいう
そうだよ
と 李は剃刀が額から顎まで一往復するたびに顔がエレベーターにのって 行ったり来たりする時の回路のなかでふいに老人の質問と出合う「東京へ行くんだ」
「おまえはいい体しているものな
東京へ行って労働者にでもなればいい」
と親爺が言う
おれは・・・・と李は歌う
ボクサーになるのさ
誰にもわかってもらえないだろうが
とにかくおれは来月汽車に乗る
その汽車の汽笛の意味を
あんたがたはどこの国の言葉にも訳すことはできないだろう
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