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70年代というベクトル

ここ2、3日イヴェントのために70年代のフォーク、ロック、
ニューミュージックといったものについて書かれた文献や、
10年分のオリコンヒットチャート、ビルボードTOP100、
犯罪事件史など読み漁り、
今まで興味のなかった叙情派フォークやニューミュージックを
ターンテーブルに載せてみた。
実際俺は泉谷は聞いても70年代の陽水にはまったく関心がなかった。
聞かず嫌いの傾向がかなりある。
しかし30年近くレコード屋をやって常に音楽に接していることは
決して伊達ではないと思っている。
多くの人は膨大に世に出る歌のほんのわずかしか耳にすることが
ない。
しかしその中に必ず自分の人生を投影する歌があり、
さみしいとき、うれしいとき、人は誰でも歌を口にし、
勇気づけられ、明日に向かうエネルギーをもらうのだ。



ちょっと話題がそれるけど、
マイケルジャクソンの死は、
普段音楽の話題に入れない中年層には若者と音楽について
意識を共有出来る稀な機会であったようだ。
自分の自慢をするようにマイケルのことを話し、思い出を語るおじさん
たちにずいぶんとマイケルを売ったもんだ。
若すぎる死を悲しみ、音楽シーンに与えた喪失感を憂うというより、
昔を懐かしみ、リアルタイムに彼を体験した自分に
急にスポットライトが当たって喜んですらいるといった
感じを受けた。
実際90年以降の彼は真新しい成果をあげてはおらず、
1997年のHISTORYに伴うツアーも過去の遺産の
焼き直しに見える。
プリンスが自らを元プリンスと
定義してマスコミやファンを欺きながら
恐ろしいまでの創作意欲で刺激的作品を次々にリリースしたり、
アンダーグラウンドンなハウスビートと
大胆な性表現を使って自身を自虐的に吐露、
評価を恐れず、売り上げを省みず、時代に切り込んだ
マドンナという同じ年の二人に比べると淋しいが、
前述したようにより大衆的ポップスター像が彼に望まれたのも
事実でありその最後の一人だったのかも知れない。
70年代のヒットチャートを振り返った時、
一番感じたのは良かれ悪しかれ、昔はひとつの時代を
歌(音楽)でTVで文化で共有していたということ。
いかに今が歪曲された個に支配された狂った時代なのかを
嘆かずにはいられない。



しかし俺はどうしても三上寛に、山崎ハコに帰ってしまう。
森田童子も70年代の鮮烈な思い出だ。
あのレコードからは70年代の下北や吉祥寺が匂いたってくる。
俺にとって70年代とは暗く神秘的で地下に暗躍する
人攫い集団によるテント芝居のイメージが残る。
そしてそれはいつでも自分をリセット出来る
かけがいのない場所なのだ。
最近は谷山浩子を最発見した。
メルヘンチックな少女の夢を歌にしていると思い込んで
いたのだが、
彼女にはもうひとつの顔があり、
それは彼女の純粋さと作家的資質によって
切れ味鋭い言葉のナイフで
女(少女)が持つ怖いほどの生理を
恋焦がれ裏切られた男の胸元に突きつける、
そんな感情をポップソングの中に見事に描いている。
谷山浩子が暗く退廃的で独特の世界観を持っている
70年代の中島みゆき、山崎ハコのファンからも
支持される所以である。
今もアニメに挿入歌からNHKみんなのうた、
そしてオリジナルアルバム、コンサートと
とても幅広い音楽活動をしていて目が離せない。
まあそんなわけで今度のイヴェントは楽しみにしていてください。








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